「KITE」作品批評記事

風と共に舞い上がる凧
Ervi Siren
Kite
6月19日 文化アリーナ44
翻訳:堀内都喜子

振付師のErvi Sirenは長年舞踊家としても振付家として、身体に向き合うことに重きをおき、特に呼吸と身体が発するメッセージに耳を傾ける手法を発展させ、独自の道を歩んできた。
彼女が始めたころは、このような手法はまだ新しく特殊であった。最近では、同様の手法は数多くあり、身体の中にあるメッセージを聞くことやそれに従うことは現代舞踊において特におかしいことではない。
Sirenの手法は非常に素晴らしいトレーニング方法であるに違いない。ただ、それが観客にとって興味深いパフォーマンスとなるかどうかはわからない。特にトレーニング歴の短い人たちのパフォーマンスの場合は。
自分の内側に耳を澄ませることは、外に向けて行うパフォーマンスとは矛盾しているように思う。Sirenが5人の日本人ダンサーと共に振付けたKITE(ダンスウィークのメインパフォーマンス)を見て、そんなことを感じた。

今回のパフォーマンスグループには、非常に様々なダンス経歴を持った人たちが集まっているが、彼らはSirenが昨年の秋、日本でワークショップを開催した時に選ばれた。作品の動きが持つ言葉は非常に柔らかく、まるで輪郭がないような感覚を得る。従って、その存在は壊れることもなければ消えることもなく、その表現には高いダンス技術を持ち、自分の身体及びその動きをよく知る表現者が必要となる。

今回のパフォーマンスではそれが顕著で、見た瞬間に電気ショックのようなものを感じ、ダンス経験者たちのソロや他の部分を見て非常に興奮した。もう一つ興奮した要素は、ダイナミックさである。ゆっくりとした瞑想的な動きが早いテンポに変わると明らかに引き締まり、より面白いものになる。
ゆっくりとしたものと速いものとテンポが変化する構成は、非常に表題に合っている。それはまるで凧が様々に変化する風の流れに運ばれて漂っているようである。

風は、Aake Otsala作曲の音楽においても大きな意味を持ち、サーメ族のヨイクにもとづいた様々な要素を含んでいる。音楽は多くの部分において、舞台上で表現される動きよりも、より豊かに思えた。

ただ、作品全体の中で私がよく理解できなかったのは、ストロボ照明が断続的に使われていたことで、私には全く意味がないように思えた。それによって部分的にダンサーのパフォーマンスが隠れてしまったのが残念だ。