「灰が降る」WEB掲載記事

灰から希望が昇る
シアター&ダンス4月17日
翻訳:堀内都喜子

Zodiak Uuden tanssin keskus(ニューダンスセンター)はここ数年、日本―フィンランドの現代舞踏の交流事業をすすめてきた。初めは若い振付師のレジデンスエクスチェンジであったが、現在、それぞれの国で共同制作が行われ二つの作品が生まれている。

振付師Ervi Sirénは春に「KITE」という作品を日本のダンサーのために制作した。本作品は6月にフィンランド・クオピオのTassii ja soiフェスティバルで発表される。先週はKaapelitehdas(カーペリテヘダス)のPannuhalli(パンヌハッリ)で坂本公成がフィンランド人ダンサー向けに制作した作品「灰が降る –Ash is falling」が初演された。7月に本作品は Täydenkuun Tanssit(フルムーンダンス)フェスティバルで、秋には両作品共に日本では上演される。

灰が降るは日本の三好達治が1962年、広島・長崎の原爆について書いた同名の詩にもとづいている。1年前の福島の原発事故があり、非常に今にあったテーマである。
坂本氏の作品のテーマは暗く、重いものである。パフォーマンスも重いが、ストレスがたまるようなものではない。シリアスだが同時に規律がとれ、芸術的な美しさがある。そこには楽観的な希望がないのに、完全に絶望的でもない。
「灰が降る」は私たちがどうにかしない限り、詩の言葉で言えば将来地球は何千年もぐっすり寝るだろう、という非常に強い忠告が含まれている。
パフォーマンスは感情を起こし、かきたてるように創られていた。初めは真っ暗で少しずつろうそくに火がついていく。山中透の暗い曲調の音響は緊張、不安、悲鳴を感じさせるが、底流には優しさが感じられる。特にパフォーマンスの最後の歌も、馴染み深いフィンランドの子守唄「tuu tuu tupakkarulla」である。
藤本隆行の点滅する照明はあまり柔らかとは言えない。断続的に色の世界は柔らかいものではあるが、どちらかというと鋭く、かたい印象を受ける。
作品全体の軸は、繰り返しであり、その考えは人間は過ちから学ぶことなく、再び過ちを犯してしまうというものである。繰り返しは動きの中にも見られ、何度も観客の方へ行ったり来たりを繰り返す。動きは多様で、ダンサーが這いまわり、戻る動きのバリエーションの多さは見ていて非常に驚いた。
ダンサーにとってはこのパフォーマンスは非常に難しく、坂本氏の武道を思わせるゆっくりとした動き、つらい姿勢の動き、下に崩れ落ちる動きは肉体的にも精神的にも非常にタフでなければできない。彼らは皆、それを素晴らしく実現していた。同時に我慢強さと繊細さ、非人間的な無限の試みがあったが、非常にうまくコントロールされていた。
それこそが、まさに「灰が降る」のパフォーマンスの強みである。忠告し、感情を湧きおこすが、テーマに落ち込みすぎない。怒り狂うのでもなく、責めるのでもないが、考えさせる。そしてその後のことは観客、私たち一人一人の責任である。

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